やりたいことが分からなくなった時   


自分がわからない、やりたいことがわからない人は、多いと思います。
実はそれは意味のないことなのかもしれません。

禅の世界で「看話禅(かんなぜん)」というものがあります。
簡単にいうと、答えのない質問を師匠が弟子にし続けて、
無意味なことを考え続ける修行のことです。

例えば、
両手を叩くとパンと音がなる
では、片手の音とはなんだろうか?
→答え)意味がない

これと同じで、
本当の自分とはなんだろうか→考える意味がない

そもそも今すぐ本当の自分を決める必要がないし、
決まってるものでもない
それは、

「変わっていく物」

本当の自分を見つけなくちゃいけないという、脅迫概念になってしまうとそれが成長の妨げになってしまう

「人は成長していくものだ」と受け入れて行った方が自分を知っていくことになる

生きる意味が決まっていると思い込んでいると、
・本当の自分がわかるまで行動しない
・決めつけちゃうとそれ以外の可能性に目を向けなくなる

目標は変わっていくものと考えていると、
・人間は変化し続けるもの
・自分はどう変わっていくのかを知っていること

自分はどういう風に変わっていくのかを眺め続けるのが、自分を知ることなんじゃないか

自分の行動によって生活や人生が変わっていくのを見て、観察していくことによって人は、やる気も出て人生の新しい道を切り開いていける

目の前の失敗、恐怖、自分はダメなんだ、と思ってしまうと一回やってみただけでダメな自分になってしまう

逆に、変化していくだけ
これからどう変わっていくのかが楽しみ
どこを変えればもっとうまくいくかなど、考え続けられればどんどん成長していく

だからこそ、自分探しに意味はない

由一正しい自分とは、変化し続ける自分だけ

自分とはなんぞや?
やりたいこと、夢も同じことが言える

情熱とは、見つかる物じゃなくて、作り出すもの
情熱を感じるようなものを探す人はいい仕事につけない
情熱は、自分の中に埋まっていて掘り起こされるもの
何か仕事に出会ってパンと出てくると思い込んでいる

情熱を感じられるような別の事をしようと思うんじゃなくて、
情熱を感じられるように工夫して、
目の前のことを別のやり方でやってみようと考えられる人は見つけられる
情熱というのは、何をやるかじゃなくて、どうやるかに依存する

同じ仕事でもやりがいを感じる人もいれば感じない人もいる
どんな仕事につけばいいのかわからないとか、仕事が決まってないからとかじゃなくて、
わからないならとりあえずやってみる、情報をとりにいく、知らないことを知ることで幅が広がり、できること、やりたいことが増えどんどん変化してワクワクできるようになる。

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