落ち着きのなかった幼少期
生まれたばかりの頃は体が弱く、咳が止まらず集中治療室に入ったこともあるとか。
幼稚園までは体が弱くよく休んでいたのをうっすらと覚えています。
その反動なのか、小学校になって体も丈夫になり、毎日日が暮れるまで泥だらけになって外で遊んでました。
熱があったから休めと言われて寝ていたのですが、あまりにも暇すぎて、外で自転車を乗り回して怒られたことを覚えています。
学校でも落ち着きがなく、毎日のように先生に怒られ、
ほんとうに先生方にはご迷惑をおかけしました。
小学校3年生からソフトボールを始め、初の試合ではセカンドゴロでアウト。
悔しい気持ちよりも、初めての試合で緊張すぎてそれどころではありませんでした
小学校6年生では県大会優勝し、しかもツーアウトから逆転満塁ホームランというドラマティックな勝利を飾り、子供も大人もみんなで飛び上がって喜び合いました。
中学生になり、当然のように軟式野球部に入りました。
他の部活にも興味があったんですが、雰囲気に流されてずるずると。
体も小さく、思うような結果がでず、小学校の時よりも楽しくプレーはできなくて、
かといって、やめる勇気もなくそのまま続けました。
特に結果は残せず、高校になりずっと野球やってたし、親もそのつもりだったので、野球部かなーとそんな気持ちで入部。
身長もいつの間にか30センチほど伸びてました
そのおかげなのか、今まで続けてきたおかげなのか、イメージ通りのプレーができ、1番野球をしてて楽しいと思っていた時期でした。
どんな練習をしてても楽しいと思っていたので、能力もすくすくのび、四番を任されるまでとなりました
四番は、打てなければチームが負け、打てればチームが勝つといったように、チームの勝敗が決まるほどの重要なポジションです。
チーム内で打率が一番高かったため抜擢。
とわいえ、そんな責任のあることをやりたくない気持ちもありました
そんな中途半端な気持ちでスタートした四番バッターですが、今思うとやってよかったし、そんなチャンスを任せてくれた監督に感謝です
やりたくないけど、やらねばならぬ状況。
周りは待ってくれなかったのでやるしかありませれんでした。
最初は、不思議なほど、チャンスの場面で回ってきて、打てない、打てない、打てない、打てないみたいな感じでうまくいかないことがほどんど
自分が情けなく、悔しく、打席に立ちたくない。試合でチャンスに回ってくるなとも思っていました
ただどんなに打てなくてもチームメイトは、大丈夫、次いこうと励ましてくれ続けてくれました
大失敗をしてベンチに帰りたくな買った時、あれだけの失敗をしたんだから帰ったら何か言われるんじゃないかとビクビク重い足取りで帰ったときもありましたが、当然のように励ましの言葉をかけ続けてくれました
ミスしても次だ
試合中余計なことを考えてたら勝てない
次で結果を出せれば大丈夫
そんなふうに、前向きに考えられるようになり、切り替えも早くなり、四番としての自覚が芽生え打率も上がっていきました。
3年生の結果は1回戦敗退でしたが、休みなく練習した毎日、笑ったり泣いたりしながらも皆で一緒に頑張った日々は、嫌なところばかり見ず目標に向かってやること。きつくても楽しめる方法や自分について知るいい経験となりました。